2011年12月31日

浅野太鼓・浅野昭利専務

少し長い話になりますが、今年の12月初旬、私にとって大きな喜びを得た出来事がありました。
比べることはできませんが、大分県文化振興功労章の受賞ではありません。
この受賞もTAOにとって、歴史的な名誉ある出来事であることは確かなのですが、
その喜びとは、私の個人的な18年の願いの達成とでも言いましょうか、そんな話なのです。その喜びをこれまでのTAOの経緯に沿ってお話ししたいと思います。

TAOは、設立当初の18年前、ラスベガスの「ミスティア」というシルク・ドゥ・ソレイユのショーを観たことで、未来への方針は決まりました。
「和太鼓で世界に肩を並べるエンターテイメントショーを作り上げるんだ!」
前人未到の大目標を掲げ、そのために何をすべきか?このことだけを考える日々が始まりました。
しかし、振り返ると、そんな途方もない夢物語をよくも言ったもんだと今更ながら恐ろしくなります。
それじゃ、どんなショーを作るんだ!
どうやって世界へ出るんだ!
メンバーはたったの7人、スタッフは私だけ、金も知識も協力者もいない。本当に全く何もない状態で、どうしてそう強く思ったのか?正直自分でも何でだろう?と不思議な気持ちでした。
ただこれだけは言えるかもしれません。
和太鼓に出会ったとき、その表現世界があまりにも素晴らしく衝撃的だったため、完全に私を虜にしてしまったからだろうと思います。
TAO初代団長の奥野康弘の表現力は、私の心の奥深く眠っていた何かを呼び起こしました。
1997年「天響」という舞台作品で、私は演出家としての活動を始めました。
複雑に形を変えるカラクリ舞台、ショーのナビゲーターとしてパントマイムを入れ、TAOのメンバーは、Gパンにジャンバーという、和太鼓界では有るまじき恰好で演奏をさせました。


結果は、評価よりも和太鼓界の方々からの不評が凄かった。


「TAOは和太鼓ではない。和太鼓を分かっていない。あいつらは駄目だ!」と、吐き捨てられるような不評に加え、「TAOを見に行くな!」と村八分にもされました。
私が一番気にしていたある人からの評価は、私の経営センスだけを褒め、TAOの演奏には、NOコメントでした。
耐えられなくなって、再び法被に鉢巻という古典スタイルのLIVEシリーズに戻したこともありました。
「それじゃ、和太鼓で勝負してやる!」と無茶苦茶で過酷な試練をメンバーに与え始めました。
その結果、ほとんどの初期のメンバーを失くしてしまい、どん底の谷に突き落とされてしまいました。


自業自得です。
しかし、水藤義徳、黒柳夏子、西亜里沙、森藤麻記の4名だけが残り、そこから再起を図ることになりました。
「人材育成に全てをかける!」
海外デビューもメジャーになることも二の次。とにかく人を育てる基盤作りに専念しようと心に決めました。
過酷なトレーニングも外部の専門教師をお招きしたり、研修へ行ったりして、情熱+知識を取り入れた裏づけを行い、TAOの里の環境づくりを徹底的に行いました。
そこから凄い新人が入団してきました。
滝良平、岸野央明、河原章弘、そして、江良拓哉・・・
「神様が私にもう一度だけチャンスをくれたんだ!」と本気で思いました。
2004年海外デビュー、2005年からWORLD?TOUR始動、2009年全国公演始動。次から次へと公演を拡大させ、世界で最も興行成功のハードルが高い東京でも公演を成功させるまでになりました。
「さあ?今度こそどうだ!」と言わんばかりに、気になるある人の感想を求めました。
しかし、その答えは、前と同じ私の経営能力を褒めて、内容は褒めてくれませんでした。
「結局目指す世界が違うんだ!」
と、半ば相手の感性を疑うような気持ちになっていました。


それから2011年、2ヵ月間のヨーロッパツアーから帰国し、「浮世夢幻打楽ー参の絵巻ー」の制作に明け暮れていた3月11日、日本の全てを変えてしまった東日本大震災が起こってしまいました。
被災者を助けることも、手伝うことも何もできない自分への嫌悪感と悲しみに、制作が全く進まず、毎日のように心が泣き叫んでいました。自分がこんなにも情けないとは全く知りませんでした。
新作舞台発表の日が迫ってきても、まだ新しい発想が浮かばず、焦りと悲しみと怒りがごちゃごちゃになって、重く辛い日々が過ぎていきました。
そんな時、仙台から一枚の手紙が届きました。
「TAOが私たちのライフラインです!」
この手紙は、TAOの支援者であり、スポンサーであり、最愛の仲間であるクロレラ工業の東北支店松原支店長からのものでした。
勇気頂きました。

今まで魂の奥に溜まっていた情熱のマグマが一気に噴き出しました。


「そうだ、TAOは日本の元気になって、日本を元気にするんだ!!」
そこからは、湧き出て、湧き出て仕方がない、止まらない発想の連続でした。
これまでのTAOにはなかったアイディアが次から次へと形となって制作が進み、

浮世夢幻打楽ー参の絵巻「どっせいや、NIPPON」が完成しました。
2011年は、被災地の東北ツアーを含め、東京でのロングラン、12月には地元九州・福岡でのロングランも大成功し、国内観客動員数は、初めて1年間で20万人を超えました。


10月の東京・赤坂ACTシアターでは、やっぱり気になるある人も招待していましたが、
どうせ、社交辞令での感想で終わるだろうし、「もうある人の感想はどうでもいいや!」と思っていました。
それが、12月の初旬、ある人の専門雑誌「たいころじぃ」で、TAOを絶賛してくれていたんです。
その内容は、記事最下部ににリンクされた雑誌の切り抜きを読んでください。


ある人とは、浅野太鼓・浅野昭利専務のことです。
浅野専務は、和太鼓を舞台表現の世界に作り上げた第一人者で、プロ・アマを問わず、ほとんどの全ての和太鼓演奏者の楽器を製作し、人を、団体を育ててきました。
一代前までは、和太鼓製作では本業として成り立たないほどの零細な規模だったそうですが、今では世界的な規模に拡大し、和太鼓を日本の文化の代表的な存在までにしてくれました。
私の知る限りでは、和太鼓の育ての親と言っても過言ではありません。
だから、ハードルが高かった。
認めてもらおう!なんて考え自体が甘かったのです。
ようやく18年目にして認めてもらえた今年、本当に嬉しかった。どんな人の評価よりも嬉しかった。
こんなにも心から安堵した喜びは、正直自分に驚いています。
今まで18年、相当意識していたんだなと初めて知りました。
これで、TAOも和太鼓の歴史の中に入れたような気がします。
だからこそ、中途半端なことをしてはいけない!と更に身を引き締めています。
世界に誇る日本最高の舞台「和太鼓エンターテイメント」を必ず作ってみせます。


浅野昭利専務、有難うございました。
そして、これからもよろしくお願いします。

2011年12月31日
TAO代表 藤高郁夫

 

 浅野太鼓【たいころじぃ】


 

2011年5月14日

「参の絵巻」の初日を終えて・・・

5月12日「パトリア日田」にて、新作「浮世夢幻打楽ー参の絵巻ー」の初披露を行った。
この作品は今年、九州ツアーを皮切りに、東京・横浜、シンガポールで上演され、秋には東北を含む日本全国ツアーへと上演されていく。
なんと今年、日本だけでも120公演が予定されている。
更には2012年1月より、3ヵ月間の全米ツアーでも上演されていく予定だ。

さて、その大切な舞台作品の初日はどうだったのか?
一言で言えば、「本当に素晴らしい公演だった!」である。
初日にこれほど完璧に近い公演ができたことは過去に経験がない。
私は公演終了直後から、溢れ出す涙を抑えることができず、人目を避けるように外へ逃げ出してしまった。
何故、こんなにも泣くのか?分からない!
この初めての感覚にどうする術もなく、その理由を自問自答していた。
「新作舞台に自分自身が感動してしまったのか?」
「いや、なんか違う。」
被災者へ何もできなかった自分への嫌悪感か?
「これも違う気がする。」
なかなか言葉として表現できないが、メンバーの顔が見られないほど泣きじゃくっていた。
楽屋へ帰ることもできず、冷静さを取り戻すために楽屋裏の喫煙所へ外から遠回りをして行った。
ちょうどそこには照明デザインの八木君がいた。
「修正点は沢山ありますが、如何だったでしょうか?」
彼は真摯にダメだしを求めてきた。
「いや、何もないよ!本当に素晴らしかったよ!」
「あ・り・が・と・う」
顔を合わせることができないので、うつむいたまま答えた。
こんなセリフを吐いたことは初めてだし、自分自身でも驚いてしまったが、八木君の顔を見上げた時、彼の誇らしげで喜びに満ちた笑顔が何とも言えなかった。
そして、今の感情が何なのか?の答えが突然出てきた。
そうだ、この涙は、TAOのメンバー、そしてスタッフ全員に対する感謝の気持ちだったんだ。
それを素直に表現できず、心が泣いていたんだ。

3月11日のあの震災から今まで、経験したことのない虚脱感が、自分自身に襲い掛かり、どんなに言い訳をしても罪悪感から逃れられないでいた。
「TAOは日本の元気になる!」と、スローガンを掲げて自分自身をも鼓舞しようとしていたが、毎日毎日が苦しみの連続だった。
こんなに辛いなら、作品作りを止めて被災地へ行けばいいんだ!
と、何度思ったことか・・・
しかし、その思いの都度に、最終的な答えは「作品づくりに没頭しろ!」だった。
何もできない自分への言い訳か?と感じながらも、自分を、メンバーを、スタッフを、奮い立たせてきた。

この2ヵ月間、本当に過酷な時間を共に過ごしてきた。
妻帯者は一度も家に帰らず、誰一人としても休みも取らず、1日20時間はひたすら制作を続けた。
この作品のスローガンは、それだけ我々を追い詰め、本物であるかを試したんだろうと思った。

耐え忍んだのではない!
絶対に創り上げるんだ!
ただその一念だった。
何度も何度も己の才能の無さに、嘆き、苦しみ、喘いできた。
「もう、ダメだ!!」と諦めそうになった時、必ずといって、東北の大切な仲間たちの顔が浮かんできた。
彼らに比べて自分の苦しみなんて屁みたいなもんだ!
そう自分に言い聞かせながら、
「新作、参の絵巻は、あなた達のための作品です!」と言える日を夢見て頑張り続けてきた。
そしてこの作品は、今の日本を元気にするため、世界へ日本の元気を伝えるために上演されていく。
中途半端な作品は絶対に作れるはずもない。

そしてその思いは、一昨夜見事に達成された。
本当に素晴らしい初日だった!
これまで17年間のすべての公演の中で、最高の出来と言っても過言ではない。
TAOにしかできない作品を、このメンバーでしかできない楽曲を創り上げることができた。

私の楽曲イメージを具体化してくれた亜里沙は、挫折と挑戦の連続だった。
水藤君は、没になった譜面の数々に埋もれていた。
岸野君は、「今までの全てを壊し、全く新しい楽曲を作る!」というテーマの基、泣かない男が泣いていた。
次々と新曲を作り込む滝君は、苦しむ仲間を助けながら、新居となった自分の家すら知らない。
新しいパフォーマンスに燃える太郎君と谷中君の稽古姿に大いに笑い、
シンゴと江良君の百に一つしかないアイディアをもらい、
純君も本田君も大矢君も必死になってついて来ていた。
感性豊かな麻記さんは、突っ走り過ぎて一番順調だったが、最後には没だらけとなり、まーだ諦めないで戦い続けている。
キーコは、今回の準主役的な役に抜擢されながら、常にマイペースでいた。
あすかは、麻記さんの最大の犠牲者でありながら、新曲をしっかりとこなしていた。
夏子は、みんなの健康管理と美味しい食事を提供してくれた。
和哉君・山口君・政所君・渡辺君・岩谷君・中田君は、北島50周年公演に出演するため、参の絵巻に出演できない悔しさで泣いていた。
津田君・山本君・生越君・枝元君・渡司君の新人は、先輩のお世話をしながら、必死に基本稽古に励んでいた。

入社したばかりの稲尾君は、東京で20年もメジャーアーティストの舞台監督をしていた英知を駆使して、東京の舞台製作会社とのやり取りをしてくれた。
舞台デザインの西君は、膨大な仕事の中でも、一つも妥協することなく、次々と素晴らしいデザインを描いていった。
プロデューサーの篠原くんは、新しいマーケットの開拓を次々と成功させ、今や事務局のボスとなった。
彼女の助手となった我が息子・壮一君は、篠原君から営業の真髄を根底から鍛えて貰った。
海外マネージャーの高松君も国内営業ウーマンとして変貌した。
遠山君は、体も行動も細々として、女性陣の餌食となって楽しんでいた。
新しくデスクになった岡田さんの手腕に大いに助けられ、新人の後藤君・荒田君の空回り的な頑張りにイライラさせられた。
そして、チーフ・プロデューサーの奥野は、東京の切り込み隊長として、節電だらけの東京を彷徨っていた。

「TAOのみんな、ありがとう!」
「スタッフのみんな、ありがとう!」

この新作「参の絵巻」は、間違いなく東北の人たちを、日本全国の人たちを、元気にすることができる作品に仕上がった。
声を大にして叫ぼう!!

「今、TAOは日本の元気になる!!」


2011年5月14日
TAO代表 藤高郁夫

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2010年9月 3日

CD制作

2010年夏、REDにとっては初めてとなるTAOの里「赤兜ライブ」が口蹄疫の問題で中止となり、REDメンバーにとって、どれだけ悔しくて遣り切れない思いだったか、彼らをそばで見ながら、本当に残念としか言いようがない状況だった。
2009年4月にオープンした「赤兜」は、世界的な建築デザイナー丸山欣也氏とTAOの音楽プロデューサーたちの監修による、徹底して音環境にこだわって造り上げられた建物だ。


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REDはここでの演奏を1年半も待ち望んでいたのだ。
もちろん、REDメンバー同様、ファンの方々も同じ気持ちだったと思う。
しかし、REDたちは、そんな状況からすぐに気持ちを入れ替え、新作のCD制作へ情熱を傾けていった。
8月4日、NYよりTAO音楽監督である「奈良部匠平氏」を招き、1ヵ月間缶詰状態で曲の編曲・新曲制作を行った。更に、レコーディングディレクターでもあり、音の魔術師である「伊東俊郎氏」をも加えて収録が進んだのだが、この二人の音・音楽に対するこだわりが半端ではない。ついには悲鳴を上げるメンバー。中には自分の才能に嘆き苦しむ者。毅然として立ち向かい何十回も何百回も挑戦を続ける者。壮絶な戦いが毎日24時間続いた。


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ある日、二人のディレクターからこんな話を聞いた。
「TAOは全員がとんでもない成長を遂げている。これから先、もっともっと音楽制作・レコーディングには時間が必要でしょう!恐らく3ヵ月は必要になってくるはずだ!」
そして、「我々はすでにTAOの一員だ。何ヶ月でもお付き合いしますよ。」
彼らは、日本の音楽シーンのトップを支えてきたスペシャリストで、その活動の多忙さは、私が十分に知っている。そんな二人にこのような声をかけていただけるとは、なんと光栄なことか。
本日9月3日早朝、ようやく全ての収録を終えた。
奈良部氏は、このまま昼の便でNYへと帰り、あとは伊東氏のMIXが赤兜で続く。
TAOはというと、なんと本日から始まる秋の公演先へと移動を始める。
きっと極限の状態が続き、一息入れたいところだろうが、それも許されない。
私が言うのも変だが、本当に彼らは、人間的にも、音楽家としても、アーティストとしても、物凄い底力のある資質を持ったメンバーである。ただ表現力豊かな器用なアーティストというわけでなく、そこには多くの人々を惹きつけてしまう素晴らしい精神を持っている。
今回のCD「浮世夢幻打楽?弐の絵巻?」は、12月より販売を予定している。
彼らの根性と愛情がたっぷりと込められた新作にご期待ください。


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2010年9月3日
藤高郁夫

2010年7月27日

「一風堂CollectionTAO・シンガポール店」

2010年7月29日 一風堂CollectionTAO・シンガポール店がシンガポールUEスクエアにオープン!!
27日のオープニングセレモニーでのTAO代表 藤高の挨拶をご紹介します!


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中世日本に庶民から愛された「歌舞伎」や「浮世絵」は、今も日本のみならず世界で評価を受け、日本を代表する文化として受け継がれ更なる進化を続けています。
TAOは、そんな存在となることを目指し、日本の伝統楽器である和太鼓を現代的にアレンジし、新しい日本のエンターテイメントとして、世界をフィールドに於いて活動しています。
そして、「一風堂」も今や日本に於いて最も愛されている食文化の代表であり、更なる新しい食文化へのチャレンジも続け、世界各地へと進出しています。
今回、東西の文化・経済の交流拠点であるシンガポールに、「TAO」の名を冠した「一風堂」がオープンすることは、今後更なる加速をもって、日本を代表する「食とエンターテイメント」の存在が世界へ広がることでしょう。
キーワードは、「日本のカッコ良さを世界へ!」です。
この店では、その美味さ、味へのこだわりと新しい味を追及する一風堂渾身の情熱を全身で感じることができるでしょう。
TAOの舞台は、まだここシンガポールではお披露目されていませんが、シンガポールから全世界へと広がることを願い、きっとそんな遠くない日に皆さまへお目にかかることができるでしょう!
その日にぜひお会いしましょう!
忘れられない一日となることをお約束します。

TAO 代表 藤高 郁夫


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2010年3月17日

感動を提供する者は

「感動を提供する者は、常に感動を受ける環境に身を置かないといけない。」


これは、私のTAO設立当初からの考えで、毎年行われる「ラスベガス研修」は、メンバーだけでなく、スタッフも参加する豪華な恒例行事となっている。もちろん、私にとっても、この仕事を始めた原点に回帰するという大きな意味もあって、すでにラスベガスは、TAOのマザーシティになっていると言っても過言ではない。


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ただ、「ラスベガス」という言葉から連想されるイメージが、「カジノ」と直結しているので、日本ではあまり評価されていない気がするが、それは、大きな間違いである。
ここは、世界最高のショーが次々と誕生している世界唯一のエンターテイメントの聖地なのである。
日本で毎年行われているシルク・ドュ・ソレイユのショーは、確かに素晴らしいと思うが、ラスベガスのシルクは、全くの別物なのである。
他にブロードウェイ・ミュージカルやイリュージョン・世界のTOPシンガーが繰り広げる豪華絢爛なショー、そして、我々と同じ、世界ツアーで成功を収めたエンターテイメントショーが毎日のように上演されている。
またラスベガスは、ショーだけでなく、最先端のデザインを施したHOTELや商業施設が連なっていて、街を歩くだけで、舞台のヒントは山のように転がっている。
そういう意味もあって、TAOのラスベガス研修は、絶対に欠かすことのできない最も重要な研修となっている。
私は、昨年10月、YELLOWメンバーとデザイン部で来たばかりだったが、RED北米ツアー中の1週間の休みを利用した今回のラスベガス研修に、MGと日本から参加した。
そして、夏前に放送されるであろう「TAOの特番」の取材陣までもが同行するといった総勢23名の団体さんツアーになったのである。


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泊るHOTELは、5年前のオープンから必ずココと決めている「ウィン・ラスベガス」


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このHOTELは、ラスベガスのHOTEL王「スティーブ・ウィン」が自分の名前を入れた世界最高峰のHOTELなのである。
そして、ここに私がこの世で一番尊敬する演出家「フランコ・ドラゴン」が作った「ル・レーヴ」というショーが行われている。フランコは、シルクに在籍した期間にシルクの代表作を次々と制作し、水をテーマにした「O」という作品を最後にシルクを去った。
彼は、喜怒哀楽の激しい、大変なロマンチストで、もともとはミュージシャンであった。
彼について語り出すと止まらないので、ここでは止めておくが、実は、彼がラスベガスで初めて作った「ミスティア」という舞台作品が、TAOの始まりに大きな影響を与えた。
もちろん、その「ミスティア」は今でも上演されていて、私は、今回で20回目の観劇となったが、全く色あせるどころか、更に磨きがかかっていて、終演後は、涙が溢れて止まらず、すぐには退出できないほど感動させられているのである。
TAOのメンバーやスタッフは、業務命令として、必ず、この「ミスティア」と「KA」そして、「ル・レーヴ」を見なければいけないことになっている。
「ル・レーヴ」
このショーは、間違いなく世界NO.1のショーである。
洗練された芸術性の高さ、
アーティストを極限まで美しく見せる繊細さ、
世界のあらゆる音楽要素を取り入れた音楽は全てライブ演奏で、一度聴けば頭から離れられないインパクトの強さがあり、
そして、ロマンティックなストーリーは、誰でも理解できる優しさをも持っている。
ショービジネスの世界で「完璧」という言葉を使えるのは、このショー以外にはないと私は思う。
同行した私と同じ年の取材プロデューサーは、「ル・レーヴ」を観終わった後、私にこう言った。
「人生観が変わりました!本当に有難うございました!」と・・・
本当は、もっと語りたかったのであろうし、語れる人なので、感動を詩人のように言えたと思うが、本当にこのショーは、言葉無くすほど感動してしまうのである。
彼の目から涙が溢れていた。私も溢れる涙を止めることができなかった。
私もフランコによって人生が変わった。
そして今日もまた一人、人生が変わってしまう程の影響を受けてしまった人がいる。

我々エンターテイメントの世界が社会に与える影響は、経済や政治のように、はっきりとしたものにはならないが、人々の心を大きく動かす魔力を持っていることは確かである。
どうか、皆さんも生きている間に、このショーだけは観なくては損だと思う。損と言うより観た方が絶対に幸福になれる。どんなに無理をしてでも、このショーだけは必ず観るべきである。
もちろん、TAOのショーもですけど・・・・


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2010年3月15日
DORAO FRANCO

2009年12月21日

日刊スゴい人

先日ニュースでご紹介した、日刊スゴい人で藤高郁夫が語った内容をご紹介。

以下より、冒頭の日刊スゴい人編集部の紹介含め配信内容をそのまま抜粋します。

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本日の
スゴい人は・・・

『前人未到!和太鼓集団ブロードウェイを魅了!!』

今や・・
世界16ヵ国、
300都市、
総動員数は、
350万人を超える。

今年だけでも・・
ヨーロッパ20万人、
日本で10万人。

信じられますか?

これは、
和太鼓集団が
世界中で実現し続けている数字である。

世界に通用する
日本。

今日の男は、
もはや、
日本人の誇りだ。


さあ、
TAO藤高様の
登場です!


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「工夫の継続」


太鼓なんかで飯が食わるっとか?

お前たちの太鼓は邪道だ!

多くの人たちに
そう言われ
16年が過ぎた。


ここまできて、
成功したとは
思っていないが、
ようやく
人に語れる
確信に近い成功の秘訣がわかった。

それは、
夢は必ず叶う!
と信じきること。
その夢は、
人に社会に愛されるものでなくてはならない!
ということ。
そして、
その夢は一人のものでなく、
社員や家族、関係者、支援者のものである!
ということ。

私は、
もともと
太鼓をやっていたわけでなく、
何か音楽をしていたわけでもない。
芸術や文化とは、
全く無縁で、
両親や兄弟、
先祖もそういう人はいない。
サラブレッドではなく、
駄馬だった。


自分のDNAを
変えることはできないが、
努力で才能を宿らせることができるのでは?
と信じてみることにした。


片時も
手放さない
スケッチブックに
思い思いの自由な発想を書き込み、
筆ペンや
お気に入りの筆記具で、
ある時は
画家のように、
ある時は
音楽家のように、
ある時は
詩人のように、
ある時は
舞台演出家のように、
なりきる
自分を作り上げていった。


スケッチブック
500冊を超えた頃に気付いたこと、
それは、
「いつも頭の中に7面の映像を映し出すことができる。」
ということ。
これって、
もしかして才能?
自画自賛
しているわけではないが、
とにかく
便利な頭の構造になったのは事実。

私は
言い切ることができる。
誰でも、
工夫の継続で才能は宿る!
ということを。


本当ですよ!


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2009年9月 1日

TAOの立ち位置

約5年間続けてきた竹田広報の「TAOコラム」が今回で最後となった。

淋しい思いもあるが、本音で言うとちょっとホッとしている。
TAOが本格的な世界公演をスタートさせた2005年に始まったコラムだが、久住に1年の2ヵ月も居られない過酷なツアー生活をしている我々には、その原稿を送ることも大変な作業であったからだ。

ただ、このコラムを続けることで、我が故郷、竹田市に対する恩返しというか、我々の立ち位置をしっかりと考えさせられる良い機会となった。

TAOの舞台は、人々を感動の渦に巻き込み、心の中に埋まっていた元気の源を呼び起こす魔法のような力がある。日本全国、世界中でTAOファンが急増する中、TAOと共に歩んでいきたい、発展していきたい、という人や企業が久住に移ってきた。その中で観光の減収に苦しむ久住高原を救済してくれる大企業がTAOの里の隣にやってくる。その企業は、「人を町を子供たちを元気したい。」と願い、体験型の観光施設を展開するそうだ。

TAOは、このような人や企業を人間力で誘致する役目を担っているのかもしれない。

TAO代表 藤高郁夫
2009年8月10日

エディンバラへの再再挑戦...

今年4年ぶり3回目となるエディンバラ出演の本当の意味は・・・・・


2004年・2005年と参加し、フェスティバル50年の歴史で史上初となった2年連続チケットセールスNO.1の偉業は、各メディアから最高位の5っ星を総なめにした。そして、「疑いもなく最高傑作の舞台!」とまで絶賛された。


TAOは、この偉業から世界ツアーへと発展した訳であるが、実は、この5年間、世界ツアーに対するフラストレーションが溜まる一方であった。
数々の業績とは裏腹に「本当のTAOが表現出来ていない。」と悩まされていた。
このことは、世界での賞賛を手放しで喜べない原因となっていた。限られた舞台制作と出演者。加えて、舞台精度を無視された過酷なスケジュール。これらのことは、TAOのメンバーに「俺たちは、何のために舞台に立つのか?」と方向性が見えなくなる原因ともなっていただろう。

2005年・2007年と行ったオランダツアーは、製作費の増強をお願いしただけで全てキャンセルとなった。オランダのプロモーターはTAOの本当の舞台を知らないのだ。だから机上での計算が先に優先された訳だ。


今年5月?7月、TNCテレビ西日本の企画・制作、全国フジテレビ系列主催のTAO全国縦断ツアーは、今のTAOの総力全てが結集された舞台だった。
大型トラック5台の楽器や道具を仕込んだ新作舞台「浮世夢幻打楽」。
出演者16名、テクニカルスタッフ16名で全国を回り、各地では、現地大手プロモーターや現地テクニカルスタッフたちに協力いただいた。
十分な舞台制作とアーティストのコンディション主体のスケジュールが、本当に嬉しかった。
TAOが目指す、「ブロードウェイ進出を目的とした和太鼓によるエンターテイメントショー」「日本人による日本の楽器を使用した日本の新しいエンターテイメントショー」を行うことができた。
このような公演を実現してくれたTNCテレビ西日本に感謝の気持ちで一杯である。
もちろん、舞台・音楽に対する数々の反省はあるが、自分たちの目標を一歩一歩と前進させることができたと思っている。今のベストを尽くすから未来がある。そう信じている。


だから、3回目となるエディンバラは、日本で行っている舞台を世界で可能にしてくれるプロモーターとの出会いを求めてやってきた。
これが、今回のエディンバラ再々演の本当の理由である。
もし、今回出逢えなくても、出逢いがあるまで続ける決心で来ているので、TAOの考えにブレは一つもない。
TAOというアーティストの存在を、未来を、一番に、そして最大限に大切にすることが私の使命であると決めている。


2009年8月5日  エディンバラにて


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